<< イエス工学付録「霊性牧会のために反復訓練しなければならない実際の原理」(4) | main | イエス工学「聖書に現れている霊的な構造」(1) >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by: スポンサードリンク | - | | - | - | - |

主の御座へ

 全能の神を知らない人や、知っていてもその無限の資源や力を受けようとせず、自分の力だけで生きている人は、生きること自体が大変だと思う。どんなに大変な目にあっても自分で判断し、決断し、解決しなければならないからです。そのため、難しい状況にぶつかるたびに絶望しやすいのです。 しかし、神に全てを委ねて生きていると、いつも心が平安でゆとりがあります。
 私はガンという病気の中にいた時、どんな状況の中にいても平安でした。感謝することが出来たのも、全能なる神を見上げ、その方の力に拠り頼み、信仰を育てて頂いたからだと思います。私の信仰の中には、決して揺るがないものがあります。イエス・キリストの十字架です。私の罪のため、愛する家族のため、その罪や病までもその身に負って下さった方に、私の出来る感謝な思いは、全身全霊で神を愛そうと自分自身に誓ったことです。この世を愛さず、天の国を思い、神の言葉に従って生きること。
 牧師の妻として教会にいた時は、主より人に従わなければならず、神の御心と違う教会での働きは、私にとって苦しみだけでした。主に謝ってばかりで喜びがなかった。人の霊と世の霊の中で、一人でよく泣いていました。主に従いと願いながら、従えない状況の中で息が出来なくなったことも、度々あったと思い出す。
 今は、この世を見張り、神の聖徒の働きを見守り、祈る日々ですが、主が語ってこられる声に体中が奮えてくる喜びは、どんなものにも換えがたい私の宝です。祈りの内容が困難であればあるほど祈りが深くなり、自分の体をもってか、霊のみか、不思議な空間に入り込む。そこには、目を閉じ祈る私の周りに数人の人がいる気配を感じる。私の正面に神々しい光が、閉じたまぶたにに反射している。「主だ!」畏れを感じ、目を開けることが出来ない。しかし、不思議と安心感があり、祈り終わった後はしばらく恍惚状態で動けずにいる。
 今日も、主の御座の前に祈りという捧げものを携えて行く。

神の証人より・・・

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 18:53 | - | - | - |

スポンサーサイト

posted by: スポンサードリンク | - | 18:53 | - | - | - |