ぶどうの木
このブログを通して、神の民の霊性が強められ育つことを願い
神の御言葉の真理を深く知ることが出来るように祈ります。
『これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。
神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、
知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、
栄光の望みのことです。』(コロサイ 1:26〜27)
神の御言葉の真理を深く知ることが出来るように祈ります。
『これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。
神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、
知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、
栄光の望みのことです。』(コロサイ 1:26〜27)
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2015.06.18 Thursday
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主の御座へ
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全能の神を知らない人や、知っていてもその無限の資源や力を受けようとせず、自分の力だけで生きている人は、生きること自体が大変だと思う。どんなに大変な目にあっても自分で判断し、決断し、解決しなければならないからです。そのため、難しい状況にぶつかるたびに絶望しやすいのです。 しかし、神に全てを委ねて生きていると、いつも心が平安でゆとりがあります。
私はガンという病気の中にいた時、どんな状況の中にいても平安でした。感謝することが出来たのも、全能なる神を見上げ、その方の力に拠り頼み、信仰を育てて頂いたからだと思います。私の信仰の中には、決して揺るがないものがあります。イエス・キリストの十字架です。私の罪のため、愛する家族のため、その罪や病までもその身に負って下さった方に、私の出来る感謝な思いは、全身全霊で神を愛そうと自分自身に誓ったことです。この世を愛さず、天の国を思い、神の言葉に従って生きること。
牧師の妻として教会にいた時は、主より人に従わなければならず、神の御心と違う教会での働きは、私にとって苦しみだけでした。主に謝ってばかりで喜びがなかった。人の霊と世の霊の中で、一人でよく泣いていました。主に従いと願いながら、従えない状況の中で息が出来なくなったことも、度々あったと思い出す。
今は、この世を見張り、神の聖徒の働きを見守り、祈る日々ですが、主が語ってこられる声に体中が奮えてくる喜びは、どんなものにも換えがたい私の宝です。祈りの内容が困難であればあるほど祈りが深くなり、自分の体をもってか、霊のみか、不思議な空間に入り込む。そこには、目を閉じ祈る私の周りに数人の人がいる気配を感じる。私の正面に神々しい光が、閉じたまぶたにに反射している。「主だ!」畏れを感じ、目を開けることが出来ない。しかし、不思議と安心感があり、祈り終わった後はしばらく恍惚状態で動けずにいる。
今日も、主の御座の前に祈りという捧げものを携えて行く。
神の証人より・・・
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2016.10.10 Monday
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