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信仰を通して鍛錬されていく喜び

 朝の祈りの中で語る。
 穏やかな日々を送る中で、今まで起きた試練を思い出した。しかし、そんな中でも守られていたことを気付かされる。ただ神の言葉に導かれ・・・ただ神を信頼して従って来た人生です。
 周りの人の移り変わる言葉より、神の言葉に信頼を置いていた・・・それしか出来ないのです。
 最近言われた主の言葉「・・・神の御翼の影に宿るあなたは、永遠の安息と平安を味わう祝福を受けました。恐れないで、ただ主を信じていなさい。」
 癌は5年は油断できないと言われていますが、私は再発をするかもしれないということに不安を感じていない。主を信じているので
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 そんな私の心を知っておられたのか今朝、主が言われたのです。「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」と言われた。
 ・・・私の体が、温かいものに包まれた・・・カタカタと震える・・・神の臨在を知る。
追伸
 夕方の黙想の中で、私の心の中にヤコブの手紙1章という思いが入って来た。そこに今朝の主の言葉を見つけた。

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。(ヤコブ1:12)

感謝です。


神の証人より・・・

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 19:52 | - | - | - |

心が震えるほどの幸せを下さる神

 この数カ月間、私は穏やかな毎日を過ごしています。癌という病気をしたことすら、遠い出来事だったかのように平安に暮しています。そんなある朝、御霊が語りかけてきました。「神に従う人生が、真の幸せな人生です。神の御翼の影に宿るあなたは、永遠の安息と平安を味わう祝福を受けました。恐れないでただ主を信じていなさい」。洗濯物を干している時で、その言葉に体が固まってしまいました。どのくらい床に座り込んでいただろう、涙が止まりませんでした。
 私は、李 天秀牧師の「病床の祝福」の本は、読んでいなかったのです。何度か読もうとしたのですが、その度に御霊に止められました。今、李 天秀牧師の「病床の祝福」の本を夫がブログに載せています。私はアップした文章を、確認している時読んでいますが、その度に恐れを感じます。主が以前語った「あなたは李 天秀牧師の証人だ」と言われたことを・・・。
 この時初めて読んだからこそ、神の言葉が真実であることを知った。私はそれを体験し、教えられていた。
 神は病を癒し、怪我さえも癒す方です。私のような取るに足りない小さな者に、神はご自分の力を見せて下さいました。どんな時も神様に拠り頼むこと、神を信頼すること、信じることの大切さを・・・。
 今思う。私には神と引き換えるほどの価値ある人生などない。命さえ主のためなら・・・。
 毎日が本当に安息と平安を味わっています。神に愛されているという実感が、私を幸せにしています。


神の証人より・・・
 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 20:02 | - | - | - |

神の御心を思うとき

 今を生きる私たちは、文明の恩恵を受けています。
 また、文明の恩恵は暗やみの影も伴っており、すべてが解放されているこの時代に、神を遠ざけ、世に向かって走ろうとする人間の本性は、まるで霊的重力のように世の波の中へと陥れます。
 この時代に神が渇望しておられる人は、どのような人かと黙想する・・・。
 誰よりも神との親密さが力であると知っている人、一分一秒も神の臨在を逃すことは出来ないという聖なるこだわりを持っている人、そんな人こそ神を畏れる人だと思う。
 貧欲と戦い、偶像と戦い、絶望と戦い、疑いと戦い、不安と戦い、神にすべての問題を委ねて生きる人。
 いくら弱くても、状況が難しくても、世に目を向けず神の御前に信仰を持って進み出る人、そんな人を神は決して無視なさらない。それを私は知っている。
 世の何らかの力に拠り頼むことは、偶像礼拝であり、偽りの信仰です。真の信仰は神が喜ばれないものと戦います。
 私たちが何を最も愛しているのか、最終的に誰に拠り頼み、誰に忠誠を尽くしているのか。
 いつも神の御心を思う。

神の証人より・・・

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 20:37 | - | - | - |

主の御座へ

 全能の神を知らない人や、知っていてもその無限の資源や力を受けようとせず、自分の力だけで生きている人は、生きること自体が大変だと思う。どんなに大変な目にあっても自分で判断し、決断し、解決しなければならないからです。そのため、難しい状況にぶつかるたびに絶望しやすいのです。 しかし、神に全てを委ねて生きていると、いつも心が平安でゆとりがあります。
 私はガンという病気の中にいた時、どんな状況の中にいても平安でした。感謝することが出来たのも、全能なる神を見上げ、その方の力に拠り頼み、信仰を育てて頂いたからだと思います。私の信仰の中には、決して揺るがないものがあります。イエス・キリストの十字架です。私の罪のため、愛する家族のため、その罪や病までもその身に負って下さった方に、私の出来る感謝な思いは、全身全霊で神を愛そうと自分自身に誓ったことです。この世を愛さず、天の国を思い、神の言葉に従って生きること。
 牧師の妻として教会にいた時は、主より人に従わなければならず、神の御心と違う教会での働きは、私にとって苦しみだけでした。主に謝ってばかりで喜びがなかった。人の霊と世の霊の中で、一人でよく泣いていました。主に従いと願いながら、従えない状況の中で息が出来なくなったことも、度々あったと思い出す。
 今は、この世を見張り、神の聖徒の働きを見守り、祈る日々ですが、主が語ってこられる声に体中が奮えてくる喜びは、どんなものにも換えがたい私の宝です。祈りの内容が困難であればあるほど祈りが深くなり、自分の体をもってか、霊のみか、不思議な空間に入り込む。そこには、目を閉じ祈る私の周りに数人の人がいる気配を感じる。私の正面に神々しい光が、閉じたまぶたにに反射している。「主だ!」畏れを感じ、目を開けることが出来ない。しかし、不思議と安心感があり、祈り終わった後はしばらく恍惚状態で動けずにいる。
 今日も、主の御座の前に祈りという捧げものを携えて行く。

神の証人より・・・

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 18:53 | - | - | - |

霊の戦いで教えられたこと

 神の御声を聞く者は、神を恐れ、神を意識し、自我を捨て、内なる聖霊に自分自身を明け渡し、この世の霊をいっさい入れない環境を作らなければなりません。悪魔に騙され、支配者にならないためです。
 サタンとの戦いの中で学んだことは、この世の支配者であるサタンが精密に組織化され軍隊のような王国を作っています。分かりやすく言うならば、最高司令官であり王国の長であるサタン、その下に将軍、大佐、少佐、副官、その下に兵卒と続き、サタンに服従する支配的霊がこの世の国々や都市などの領域を割り当てられている。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)。
 この言葉は、さまざまな地域や領土の上に配置されている悪霊が、サタンのどんな命令を受けてもそれを遂行できる権威と力をこの世の君と言われるサタンから与えられているのです。しかしクリスチャンは、悪霊がサタンから権威や力を与えられていると知っても、落胆する必要はありません。なぜなら、信じる者はそれ以上に偉大な神の権威と力を持っているからです。
 信じるクリスチャンは、「イエスの御名」という権威を与えられているのです。
「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:17、18)
 この御言葉は、信じている人は悪霊の権威と力よりさらに偉大な神の権威と力を持っていると言っています。悪霊は、「イエスの御名」という権威に絶対的に服従させられるのです。
 悪霊との戦いは、この世にある建物や文化遺産といわれるものに、清めるためと油をかける必要は無く、意味がありません。十字架に力が無いのと同じです。ただ聖霊の助けを通して、「イエスの御名」によって勝利するのです。

さて、70人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(ルカ10:17-20)

 あなたが聖霊に満たされるなら、その神の宮となったあなたの体から聖霊の光が輝き、悪霊はあなたに近づけないのです。

神の証人より・・・

追伸・・・
 サタンは、この世の常識、流行、知識、制度をもって人と人との関係を複雑にしています。また人の感情に働き、心や肉体にプレッシャーをかけてきます。
 このサタンの戦術に勝利出来るのは、神の御言葉(聖書)です。聖書は、神の愛の言葉であふれています。また、サタンにプレッシャーをかけ、彼らを打ち負かす方法をも教えています。
  

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 21:07 | - | - | - |

堅く立つ・・・

  私が人生の危機の瞬間、致命的な毒矢を射る大敵サタンと戦ってからは、サタンの存在と、サタンが私のたましいを攻撃しようとしているという事実を、全く疑わなくなりました。
 聖霊が与えてくださる喜びを経験したことのない人は、悪しき霊の攻撃について全く知りません。神の存在を疑う人は、サタンの攻撃を受けないからです。そのまま放っておけば、自ずと地獄に落ちるので、サタンは攻撃する必要がないのです。サタンは、たましいの死んだ人たちには、関心がありません。サタンの関心の対象は、いのちの火がまだ灯っている人たちです。中でも傷を負った人たちや、何か失いそうで恐れている人たちで、サタンはいつも、そのような人たちを手に入れようと奮闘します。
 神は私の父なので、イエスの名によって叫ぶ時、天使を遣わし勝利に導きます。私の叫びに応えて下さるのです。
 度重なるサタンの攻撃や誘惑に対抗して堅く立つことは、容易ではありません。だから私たちは、御言葉を通して聖霊の力に拠り頼み、讃美と祈ることを休んではならないのです。

神の証人より・・・

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 19:38 | - | - | - |

思い出せない恵み


 先週2か月検診で、病院に行って来ました。採血の結果は特に異常なしでしたが、まだ肝機能が戻っていないようです。強い抗がん剤の影響は、いくつかのリスクを今だ残しています。味覚障害、手足のしびれ、左目の視力低下、心臓もまだ良くありません。でも、それらのことが私の心に影を落とす要因になることはありません。神の癒しを、自分の体で三度、息子で一度経験して来ました。今あるガンの治療にあるリスクを、何故か私は癒してくださいと、一度も願っていない・・・。なぜ・・・。不満に感じないのです。味覚が無くても、食事を作れる、食欲はいつも変わらない、美味しさは分からないけど悲しくはありません。食べ物への欲が無くなりました。手足のしびれも時々起こる。左目の視力低下も、さほど気にならなくなった。心臓も時々息苦しくなる時もありますが、無理しないよう心掛けています。
 過去に一度夢の中で、黄泉(地獄)に落ちて行く人たちを、必死で自分が止めている夢を見ました。それと同じ夢を、ガンの治療中にも見たのです。この夢は、私が神に従って行こうと決心する、きっかけの一つです。また、真夜中に大きな羽を付けて大空を飛んでいる夢を見て、目が覚めた。私のベッドの横に天使がいた。私は、入院中幾度となく神がおられるという体験を通して、神の臨在をいつも感じていました。
 薬の副作用で、激しい頭痛が何回かありました。検査したところ、担当医師から「記憶が飛んでいるところがあるかも・・・」と言われましたが、何のことか全く分かりませんでした。
 退院後、その言葉が現実となりました。過去に関わっていた人たちの、顔と名前が思い出せないのです。それに気づいたのは、退院後の一ヶ月検診で、病院に行った時です。順番待ちをしていた時、一人の女性が私に近づいて来て挨拶したのです。私も挨拶はしたものの、誰か分からない。思い出せないのです。診察が終わり帰りの車の中で、夫に「あの方は誰」と聞いてみた。「○○教会の○○姉妹だよ」と言われ、必死で思い出そうとしましたが思い出せず、しまいには頭が痛くなりました。
 家に帰って昔の日記を読み返した。その頃の事を懐かしく思い出したが、人の名前が出て来ると、顔が思い出せない。神との交わりの出来事は忘れていないのに、教会の人との出来事が記憶から消えていた。
 2014年8月10日の礼拝の中で、主が言われた。『あなたが忘れてしまった者たちは、わたしに従ったあなたを会衆の前に引き出し、十字架につけた。それは、わたしにした事です。あなたの前から、取り除いた』。
 私は、神の存在を信じられない理由がありません。神は、私が人を恨んだり、憎んだり、裁いたり、許せない心を持たないように、記憶を取り除いて下さったのです。さらには、治療中の痛みやきつさの記憶までも取り除いて下さったのです。ただ、神がなされた御業のみを、記憶の中に残して下さったのです。これが神の愛なのです。私はこれからも、この神の愛の恵みの中に生きて行きたいです。

神の証人より

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 19:33 | - | - | - |

神の御声だけに耳を傾ける

 1993年5月の末だったと記憶しています。明日、信仰告白をすという前日の夜でした。その日は、子どもは塾に行き、夫は日直で誰もいない。一人テレビの前で、目を閉じ横になっていた。ふと自分の体が揺れていると感じた。・・地震・・目を開けて見た。いや違う、私の体だ。その瞬間ゾッとした。自分の体から、くねくねと何かが足から頭に向かって、ズボッと出ていった。体から何かが出ていったのは分かったが、何が起きたかは分からない。しかし、次の日礼拝の中で信仰告白をしていた時、今度は上から何かが注がれるように体に入って来た。体が震えて立っていられない。そのうち天が下りて来るような重圧と同時に「ひれ伏しなさい。恐れることはない。」と言う声を聞いたが、心の中で「出来ません。みんなが見ています。」と叫んだことを覚えています。この経験を通して人の体は、霊を入れる器であることを知った。その後の霊の戦いに役立ち、一人の体の中に多くの霊が入る事、人を通して知った。私はその戦いの中で、悪霊に言われた。「お前には、キリスト"しかいないのか"。」分かりますか?神の霊に満たされ、従う者の内には、神の霊しかいないことを悪魔は見抜く。この頃から私の目は、人の体に入る霊が見えるようになった。私の目、耳を神に明け渡した。私が見るのではなく、御霊が見るものを見ていると、言ったほうが正しいだろう。
 そして、徐々に教会に居られなくなるなと思い始めたのも、この頃からだった。クリスチャンは聖霊を頂きながら、世の霊の影響を受ける。もっと悲しいのは、聖霊が居なくなることを知ったことです。礼拝の牧師のメッセージの時、主が「牧師のために執り成しをしなさい。」と言われ、講談の後ろで祈ってショックを受けました。会衆の頭上で、悪霊たちが黒い渦を巻いて動いているのが分かった。壁で見えないはずなのに、見えているかのように感じていたのです。私は、吐き気や目まい、首を絞められるなどの攻撃を受けた。執り成すのもきつくて、何度も意識を失いそうになりました。なぜ教会にこのようなものがいるのか、怖かった。主の御声が聞こえなくなるのでは、みんなと会うことが苦痛となってきた。その後、教会を出なければいけないことが起こり、主に教会を出るように言われた時は、やっと自分らしく生きられると嬉しかった。今は夫と礼拝を守っています。主が私の苦しみを、取り除いて下さったのです。主と語る時間の素晴らしさを取り戻せた幸せ、今は空中を飛び回る悪霊にも強くなりました。兄弟姉妹に入る霊を見なくて済む、神の子どもであることを実感することの不思議な喜びを、日々体験しています。
 私にとって一番危険なことは、神の御声を失ってしまうこと、従うことが出来なくなること、神との会う時間、空間を失ってしまうことです。神と会うための時間と空間を持つために、この世に向かって開かれた窓を閉め、神の御声だけに耳を傾ける日々に感謝です。

神の証人より

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 20:45 | - | - | - |

今、思えば・・・


私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。(エペソ1:3-5)

 私は、13歳のころからやっていた事がありました。天に神様がいて、自分を造ってくれたのも神様だと信じ切っていました。学校から帰ると、この日にあったことを「天のお父さん」「天の神様」と言っては、天に向かって話しかけていました。嬉しいことがあったら、「ありがとう」と言っていました。しかし、大人になって行くにつれて、語らなくなっていました。結婚し子供が二人できて、ごく普通の暮らしの中で、忘れてしまっていた「天のお父さん」を思い出す出来事が起きました。
 次男が小学生になった頃から、喘息が出るようになったのです。真夜中に、寝ていた私の所に苦しそうにして起きてきた息子を見て、心痛める私の心に、昔の事が思い出されました。私も子供の頃からひどい喘息持ちで、中学1年生の時、授業中に喘息が起こり、手を挙げて教室から出ていつものように「天のお父さん助けて、喘息を止めて下さい。」と言ったことと、それから全く喘息が出なくなったことを思い出し、苦しむ息子の横で、目を閉じ天のお父さんに語りました。「あの時、私の喘息を直して下さったのは、お父さんあなたですね。そう信じています。私の息子、この子の喘息も直して下さい。」・・・その日から息子の喘息も出ていません。
 後にキリストに出会い、初めて教会に行った日、教会の方々が私と同じように「天の神様、父なる神様、イエス様」と祈ることに驚きました。私の父なる神を呼ぶのです。それを聞いていてハッとしました。誰が何時、私に天のお父さんを教えたのか・・・。それがずーと謎になっていました。ただ一度、言われた言葉がありました。「私の名を唱える者とした。」
 それから昨年の事です。自営業をしていた私の実家が店を閉じ、住み慣れた家を出ることになりました。引っ越しの準備をしている時に、妹が父の日記を見つけたと電話をして来ました。その時、父の日記の中に私の幼少の頃の出来事が書かれてあると言って、読んでくれました。
「○○子は少し変わった子だ。よく一人で話をしている。その様子はまるで、○○子の傍に誰かいるようだ。私が一人で何を言っているのかと聞くと、『大きなね』と言って、自分の背中に手をまわし円を描き、両手を羽のように手を羽ばたかせた。こんな人と話しているのと言うのだ。その後も喋っていたが、○○子には人には見えないものが、見えているのだろうか。」「○○子が、私の所に来てこんなことを言う。『あのね、悪い事をしたらね、神様にごめんなさいしないと、いけないんだよ。』と、誰が言ったんだと聞くと、○○子はニコニコした顔で、こんな人と言って両手をパタパタさせて見せた。『仲良しなんだ、神様はね○○子のお父さんなんだよ。だからお話するの。お父さんが二人いるね。』と嬉しそうに話す。」と書いてあると読んでくれた。
 それを聞いた時に、私の頭にもやもやしていた謎が解けたようでした。今、時々見える天使の姿を、その頃の私は、父に言っていたんだと思う。「ごめんなさい」は、悔い改め。「お話するの」は、祈りだった。天のお父さんと教えてくれたのは天使。
 このことを思うと、神の選びがあることを信じることが出来、後に神ご自身から「あなたの喘息を癒したのは、私です。あなたの息子の喘息も、あなたの祈りによって、私が癒した。」と聞いた。

神の証人より・・・

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 21:35 | - | - | - |

神の奥義を知る

今回から示された、李 天秀牧師の「イエス工学」を載せていこうと決めていました。
ところが、今朝の事です。主が語って来られた。・・・?・・・!主が言われたことは、私の思いの中に隠していた思いに応えられたのです。李 天秀牧師の本の紹介は、他の人のブログでもやっているのに、何故私もなんだろうという思いがあり、それに応えた言葉でした。
もし私に主の声・・・言葉が聞こえなかったらしないだろうなー。でも、神の命令は絶対なんです。それが分かるだけに心の中にしまっていた思い・・・やはり主は全能者です。
主は語る中で私の頭の中に昨年、証しをさせて下さった教会での事を、映像に映し出すように見せながら言われた。私はその教会で、病床中の事を証しすることになっていました。ところが、紹介され椅子から立ち上がる瞬間に言われたのです。「病気のことではなく、あなたの信仰を証ししなさい」。私の心はパニック。何の準備もしていない私の頭は真白。でも口から言葉が出てくる。「主よ助けて!」と心で叫んだ私に、主が優しく言われた。「あなたは私の証人、神の証人である」。
私はそのまま会衆の前で、叫ぶように主に向かって告白しました。「私は神の証人です」と、すると私の前にいる会衆の上に、天国の門が開かれているのが幻のように見えたのです。それと同時に、黙示録3章7〜12節の御言葉を頂いた。その時の事が、映し出されたのです。
そして主が言ったのです。「あなたは、李 天秀の証人でもある。その目で見、その体であなたは体験しているのだから」。そうです。私の目は霊を見、耳は神の声を聞き分ける。体全体が霊の戦いに必要な武具(エペソ6:10〜19)と一緒に与えられています。「もはやあなたが生きているのではなく、キリストがあなたの中に生きている」と言われた主。神が私を人から離しました。人の霊、世の霊から離され、神の守りの中に身を置かせて、見張る者として下さった。李 天秀牧師の本は、私が教えられたことを言葉にして下さいました。
内なる人を御霊で満たし、読んで頂きたいのです。決してこの世の思いでは、理解出来ない本です。そして悪魔が恐れる神の奥義でもあります。祈ってお読みください。次回から入っていきます。
神の証人より

 
posted by: 神の小羊 | 神との語らい(証し) | 21:12 | - | - | - |